ルーザーヴィル初見感想、考察など 

 

このあともう1回観劇予定があるけどなんか調べていくうちに感情がまとまってきたから書くぜーーー!?!?!?
これが、観劇感想文の、THE FIRST TAKEじゃーーーーーーーーーい!!!!!!!

(感想、考察、軽い劇評です)ネタバレもありますし、全体的に偉そうです。お手柔らかに…

 

 

【感想】大劇場でやる意味のある、とにかく楽しい演劇

こちらの都合ですが、ジャニーズJrの主演舞台で新橋演舞場という場所は異例で、新橋演舞場での公演を疑問視する声もありました。ただ、興行的な都合はこちらには分かりませんが、作品を見て言える事は、「大劇場による、大劇場の為の演劇だった」という事です。
私は小劇場から帝国劇場まで演劇を見て、それぞれに良さを感じていますが、大劇場演劇の良さとして派手な演出、大規模な舞台装置も挙げられるのでは無いでしょうか。そういう視点で見ると本作はモニターを使った演出や生バンドでの演奏など、筋書きが何であっても楽しめる演出が用意されていて、大劇場でやる意味のある作品になっていたと感じました。
本作は強いメッセージ性や、細かな伏線などの凝った脚本では無いので、物足りないと感じる人もいるかもしれませんが、作品を鑑賞して何か考える事だけが演劇の良さではないということに帰結する作品であるように感じます。もっとシンプルに「見ていてなんだか楽しい」という部分が徹底されている作品でと言えるのではないでしょうか。

 

 

【考察】ルーザーヴィルとは、階層の存在、そして融合の話

本作の舞台は1971年アメリカ。アポロ11号が月に到着した年で、人類初の電子メールを受信した年です。作中、ヒロインのホリーは"女性初の宇宙飛行士"を目指していて、ルーカスはSTARWARSを構想しています。しかし、実際は1960年代にソ連の女性宇宙飛行士が飛行実験に参加していて、STARWARS作者のジョージ・ルーカスは1944年生まれ、1971年はデビュー作である「THX 1138」を公開しているので辻褄が合いません。

劇中の年代を1970年代とボカしたり、ホリーが目指すのを"宇宙飛行士"にしたり、ルーカスが作るのを1985年公開のBACK TO THE FUTUREにしたりすることもできたはずです。それでも劇中で1971年であると何度も示した上で矛盾させた"女性初の宇宙飛行士"・"STARWARSの制作"の2点に意図があると考えました。すると本作の主題は「階層の存在、そしてその融合」と言えるのではないでしょうか。

 

作中には様々な階層が存在します。性差、スクールカースト、恋人の有無、知識の有無……しかし、彼らがそれの差を埋めようとする姿はありません。冒頭、マイケルがコンピュータールームを出入り禁止になり、エディに派手にいじめられた後も、マイケルはいじめより出入り禁止を嘆いています。中盤、自分だけ恋人がいないルーカスは恋人作りに励む様子もなく、終盤、エディは自分でコンピューター開発の勉強をすることはありませんでした。ホリーも女性である事を理由に奨学金を断られたと冒頭では考えた一方で、女性である事をある意味利用して開発を進めます。彼らにとってそういった階層は「あって当然で、壊そうとも思わない」ものなのかもしれません。それでも確かに存在する階層の存在を"女性初の"宇宙飛行士、"STARWARS"の制作という設定を無理やり組み込むことで、「女だから」宇宙飛行士になるのが難しいということ、(ホリーが実際の宇宙に関心があるのに対して、)ルーカスが夢中になったのがフィクションの宇宙であったことを示しているのでは無いでしょうか。

 

設定以外、演出の面でも階層の存在を表現する部分はあります。冒頭でホリーが自分の容姿が優れているから秘書プログラムの案内が来たと思うと同時にエディは自分がカッコよくて最高、レイアも私が1番可愛い!と歌うシーンでも、同じメロディで自分の容姿について歌っていますが、女性で、NASAに入りたいホリーにとっては美しい容姿は邪魔なものですが、男性で家が金持ちのエディ、女性で結婚こそが幸せだと考えるレイアは自分の容姿を讃えていて、立場/階層の違いで向き合い方が全く違う事を意図的に演出しているように感じました。

 

その一方で、明確に演出意図を持たせて階層を超えて感情が融合するシーンがいくつかありました。1番分かりやすいのは、終盤、エディがホリーに対してドーナツを買ってくるまでに結果を残せと叱責し、ホリーが歌う曲です。エディへの怒りを歌った後、エディの仲間に小説を捨てられた事への怒りをルーカスが、エディに裏切られた怒りをレイアが歌います。場面としてはコンピュータールームにホリーしかいないはずなので、ここで3人が歌うことは、「エディへの怒り」として感情が共鳴してる事を明らかに意図して示しているように感じました。

最後、ホリーとマイケルの祝賀パーティのシーンでは、コンピュータールーム=オタクの巣窟=スクールカーストの低さの象徴のような場で、先生からギャルまでが2人を祝います。(サマンサのSF大会祝賀会は会場について言及がなかったのに、ホリーとマイケルのパーティはわざわざコンピュータールームでやっていると示すセリフがあった事にも意図を感じます。)雑誌の表紙には女性のホリーとマイケルが掲載されます。SFオタクのルーカスと1軍ギャルのレイアが良い感じです。これらは作中に存在していた階層が本人の意思だけではなく、様々な要因で融合し、共存していく様を示しているように感じました。

芝居を見て

井上瑞稀について_メリハリのある感情表現

怒り、悲しみの表現がかなり激しくて、ホリーをエディに取られて悲しみながら歌う場面や、ルーカスに怒る場面は立ち姿、声、表情全体で表現していて、舞台上に何人いても彼に注目せざるを得ない存在感がありました。彼の芝居はジャニアイで見てるはずですが、作品丸ごと記憶から消えているので()演出家の意図なのか、彼の特性なのか分からないのですが、ジャニーズ内部舞台では怒り/悲しみを強く表現する人が多い気がしているので、彼がこれまで経験してきた内部舞台の影響があるのかなと、ジャニーズ演劇愛好家としては邪推します。いちばん顕著だったのは、ルーカスが金庫の番号を教えた事に怒るシーンではないでしょうか。ここだけ段違いで声量が大きく、歩き方もドタドタ歩いていて、かなり緩急のある芝居になっていたと思います。

・本髙克樹について_細やかな表現

強く表現する部分が目立つ井上瑞稀に対して彼は割と一定のペースで演じていたように感じました。その一方でかなり細やかな表現が出来ているな感じていて、個人的に1番良かったシーンはオタク友達をボーリングに誘うシーンです。ボーリングに誘って断られ、ポップコーンを食べすぎて吐いた話をしたり、犬も1人で散歩に行くかも!と嘆く部分はかなり子どもっぽく話しているのですが(「結局俺が一人で食べてぇ↑?吐いたァ↓」この言い方面白すぎる)、最後に「じゃあ次ボーリング行く時はお前ら2人で行けよ」みたいなことを言って去る台詞ではかなり2人を突き放すような言い方をしているように感じました。考えすぎかもしれませんが、ルーカスはオタクですがそれなりに人当たりのいい可愛らしいキャラクターです。それでも友達を取られた寂しさ、自分だけ恋人がいない孤独感については年相応に考えがあって悩みがあると、役者または演出家は表現したかったのかなー、と考えました。考えすぎかもしれませんが。そういう細かい感情表現がよく出来ていたと感じました。

山本涼介について_キャラクターとしての歌唱の良さ

ジャニーズでは無いので言及すべきか微妙ですが。エディという、傲慢で無教養な役を演じていましたが、特にいいなと思ったのは歌唱です。雑に言うとジャイアン的悪役ではあるのですが、彼の歌唱は全編でそういう傲慢さが歌に乗っていたと思います。専業俳優と兼業俳優の違いを1番感じました。あとシンプルに身長がかなり高いので舞台に華があって、いるだけで存在感が出ていて良いなと思いました。やっぱミュージカル俳優は身体が大きいに限るぜ。ちなみに最後は恐らく軍の学校に入れられているエディですが、1971年のアメリカはベトナム戦争中。「軍の学校」が何年くらい通うものなのか分かりませんがもしかしたらエディはその後ベトナムに駆り出されていたかもしれない………と思うと急に悲しくなってきます。(ベトナム戦争は1973年に停戦します)

 

おわり!!!!!!!!!!侍のメンバーが舞台出まくってるせいで他の観劇予定がギチギチですがタイミングが合えばあと何回か見たくなる、楽しい作品でした〜〜〜

 

※余談

もしルーカスがロバート・ゼメキスで、時空をひとっ飛びする車の話を構想していたら、レイアはドクって名前だったかもしれなくて、それはあまりに可愛く無さすぎるのでSTARWARSでよかったと思います笑

 

みんな言ってるけど女性キャストがめちゃくちゃ歌上手くて最高