DADDY感想 父親ではなく、ダディになるということ

個人的に、河原雅彦さんの舞台は15年に上演された中村倫也主演ミュージカル「残酷歌劇『ライチ☆光クラブ」以来。去年同じく中村倫也主演の「ルードヴィッヒ」を観劇した母がここ数年で1番良かったと言っていて、興味はあったもののなかなかタイミングが合わず、観劇できなかった事を後悔していたら、突然好きなアイドルのセンターが河原雅彦作品に出演。世の中上手くできすぎている。という訳で、演出・河原雅彦、主演・中村嶺亜のミュージカル「DADDY」の感想と軽い劇評です。いつも通り、文章がめちゃくちゃ偉そうです。すいません。(え、てか「中村」がゲシュタルト崩壊するんだけど こーすけの名字も中村だったし)

 

 

【感想】父親ではなく、ダディになる

 タイトルにもなっている「ダディ」とは何でしょうか。普通に、父親を指す言葉ですが、あまり一般的な言葉ではありません。単に父親を指す言葉だったら「FATHER」「PAPA」をタイトルにしても良いと思うのですが、「DADDY」としたのは、作中「ダディ」とは「戸籍上、または血縁上の父親」を指している訳ではないからではないでしょうか。

 

 作中、こーすけは何人かの「ダディ友」と出会います。人魚との間に子をもうけたものの、別々に暮らすことになった海賊の船長、オス同士で、よそのカップルから卵を譲ってもらった巨大な恐竜、地球を見守っていた全ての生命の父であるという宇宙人。かなり様々な形の父親像が現れます。船長は血縁関係はありますが、それ以外の2人は血縁上の「父親」ではなく、船長も種族を超えた間柄で、一般的な父親像とは離れたものになります。彼らがこーすけの「パパ友」ではなく「ダディ友」だったのは、「ダディ」を戸籍上、または血縁上の父親ではなく、精神的な繋がりであると劇中で定義しているからではないでしょうか。

 

 1部終盤、こーすけは自分が父親になれる自信がないから、元の世界に戻りたくないと話します。2部でその理由は、小学生の頃に父親が亡くなったことと、生前の父親に素直に甘えられなかったことで、同じように自分も子供を愛せる自信がないからだと話します。つまり、父親(ドラキュラの人)「父親(属性)」のことは覚えているが、彼の「ダディ性(?)」に十分に触れてこなかったと感じているから、自分も「父親(属性)」にはなれても「ダディ」にはなれないということでしょう。(生まれさえすれば父親にはなれるので)

 

 冒険が進み、自分の父親と再会し、こーすけは彼が死後もこーすけのことを見守っていたことを知ります。宇宙人の話では、「ダディとは、ずっと見守ってくれる存在」なので、若くして亡くなった父も自分にとっての「ダディ」だったということに気付いたのではないでしょうか。自分を見守っていた父親、もとい、ダディの存在を感じたことで、自分も同じように目の前の少年を見守り、愛すればいいのだと理解したのだと思いました。

 

【感想2】ダディから受け取った愛をダディとして与えるということ

 

 演劇に限らず、多くの創作物は物語を通じて主人公が変化する話です。今作で、こーすけは子供の歌が嫌いで、仕事をそっちのけで彼女との連絡に夢中の“ダメAD”から、真面目に仕事に取り組むADに成長しています。ただ、この成長の本質は彼の仕事観の変化ではないでしょう。歌を愛する気持ちを思い出し、子供相手に芸術を与えるという愛しかた気付いたことが彼の仕事の姿勢を変えたのだと思います。

 

 想像上の世界で父親に会ったことで、こーすけは父親が死後も自分の事を見守ってくれていたことに気付きましたが、他にもいくつか知ったことがあります。そのうちひとつは、父親も子供、つまりこーすけ自身から学びを得ていたということです。父親は「子供から学ぶことは多い  大人は先のことばかり考えてしまう 子供は今を生きることに全力 だから死ぬ直前まで全力で生きることができた」という旨を話しています。だから、こーすけは元気に生きているだけで十分であると。

 

 小学生の時に亡くなった父親に対して、子供である自分が何かしてあげたと考えることは難しいでしょう。こーすけも父親になにもしてあげられなかったと考えていると思います。それでも、大人になったこーすけが父親と再会することで、自分の存在が父親に与えていた影響を知ります。そこで、これまで理解できていなかった「子供との関わり方」の意識が大きく変わったのではないでしょうか。

 

 そして、もう一つ重大なことに気付きます。それは自分が冒険してきた空想の世界が「ダディから受け取った物語である」ということです。これまでこーすけにとって父親との思い出はずっと悲しく、寂しいものでした。しかし、空想の世界を旅し、自分もダディから受け取っていた「芸術」という愛を受け取っていたことを思い出したのです。

 

 現実の世界に戻ったこーすけ。結局恋人は妊娠していなかったので、彼が父親になるのは少し先になるのですが、父親から受け取っていた芸術という愛を多くの人に届けるために、「にっちすけっちしんのすけっち」の番組を通じて歌を届けることで、こーすけは多くの子供たちのダディになるのです。現実世界ではもう少年も父親もいません。それでも、心の中に確かに存在する自分のダディ、そして、自分をダディと慕ってくれる存在に気付いたことが一番こーすけを大きく成長させたのではないでしょうか。



【劇評】演出について

私は別に子供嫌いではないですが、ファミリーミュージカルを大人になってから見たことがないので、あまり多くは語れないのですが…

空想上の世界で3人(匹?)の仲間は時々場にそぐわない事を言います。どういう場面で言っていたか忘れてしまったのですが。「便宜上!」とか「着床!」とかそういう言葉です。この言葉が出る時点では、今いる世界は「子供たちの空想の世界」ということになっているので、子供たちが知らないであろう言葉が出てくることは不自然で確実に脚本上意図してるものだと思います。この時点から子供たちの世界ではなく、こーすけの空想上の世界である」ということを示唆していたのかもしれないなと思いました。(考えすぎかもしれないです)

 

 ファミリーミュージカルなので(?)、客席を巻き込む演出も印象的でした。客席を巻き込んだのは、海賊の船長が自分の娘に会いたいと願う時、3人の仲間が喧嘩した時にショコラちゃんに喧嘩を止めてほしいとお願いする時など。客席=子供たちが何かを強く願うことで願いが叶うという演出だったように感じました。

 

【劇評2】中村嶺亜について

前髪をニット帽にしまった状態で演技をしていたのですが、それが良かったと思います。というのも、世界観的に身体を大きく動かす芝居が求められる状況で、表情の変化が見えないと身体だけが大袈裟であるように感じるからです。そして彼はセリフごとに目まぐるしく表情を変化させながら、芝居ができていたと思います。

今作はあまり複雑な感情表現を必要としないものではありますが、一方で、子ブタ、いたち、ダルマという濃いキャラクターの横で、デニムのつなぎとニット帽で生身の人間という普通の見た目の人間が目立つ必要がありました。そんな中でも存在感を示し、主人公らしくふるまえていたと思います。

あと歌唱ですね。子供向けの歌というのは、演奏と馴染まない、歌がいい意味で浮いていて聞き取りやすいことが求められるのだろうな、と共演者の歌唱を聞いていて思ったのですが、中村も声量を持ちながら豊かに声を響かせ、かなり聞き取りやすく、綺麗な歌声になっていたと思います。

 

【感想】本当の意味で「子供から大人まで楽しめる作品」

いきなり別の話ですが、私は大学一年生の時に友達と行ったサンリオピューロランドの「ミラクルギフトパレード」というショーにめちゃくちゃ感銘を受けました。簡単にいうと、ピューロランドの光を消した闇の女王をキティちゃんが信じることで、闇の女王が改心して、光を取り戻すというショーなのですが、子供向けのショーではありながら、人の善性を信じる大切さが18歳の私にめちゃくちゃ刺さって、私の道徳心はミラクルギフトパレード以前以降で別れています。(大マジ)18歳というと一般には、 かなり道徳観は固まっているとは思うのですが、人は何歳でも作品に影響を受けることができるし、それが子供向けコンテンツであることも全然ありえるんだなと思いました。DADDYも子供向けではあるのですが、学びが本当に多くて、観劇して良かったなと心から思える作品でした。

私は未婚成人女性なので、子供が今作を見てどう感じたのか分かりませんが、子供向けだから、大人は何も感じられないという、かつてのこーすけのような姿勢で観劇をすることは本当にもったいないです。18歳がピューロランドで号泣してもいいし、40歳がプリキュアで泣いてもいいし、アラサージャニオタがファミリーミュージカルで泣いても良いのです。

そういう意味で、本作は本当の意味で「子供から大人まで」楽しめる作品だったと思います。前述の通り、本作は芸術の継承がテーマだと考えているのでなるべく多くの子供が、それぞれのダディと見て欲しいなと思いました。

 

【蛇足感想】てか、うちらのダディってれぇあぢゃね?

てかさーーーーーーーーーーーーーー!?!?!?!?!?!?

こーすけは父親から受け取った愛=歌を子供たちに届けてくれてるけど、これってジャニーズも一緒じゃない!?!?!?!?!?!?ジャニーさんというダディから受け取った愛を後輩に与えながら、かつて先輩ジャニーズが子供の頃の嶺亜さんに与えた感動を、私たちファンに与えてくれてるじゃん!?!?!?!?!!?こーすけは父親と出会ってダディになったけど、嶺亜さんはずっと前から私たちのダディだったのかもしれないですね。

 

お後がよろしいようで!以上!

 

※以下、雑感

・母は河原雅彦の作品結構見ていて、どういう人なのか話を聞いたところ、セリフよりも楽曲で大事なことを示すから解釈の幅があって好きだと話していました。(母は逆に、セリフで何でもかんでも説明するスズ…ツ作品は苦手と言ってます)

・近くの席に子供がいて、ずっと静かだったんですけど、オバケのシーンで小さく「こわい」と言っていてめっちゃ可愛かった

・こーすけがいる世界が父親が見せてくれた世界なんだと気付いた時、めっちゃ泣いた。隣の人も泣いてた。わかる。

・幕間、ロビーで子供たちがいろんなおやつ食べてる光景が異様で面白かった。こどものおやつってなんか美味しそうだよね。

・推しキャラはダルマの高崎さん。オチ要因だけど歌うとめちゃくちゃ歌上手くて最高 歌が上手い舞台俳優大好きです

・歌で言うと、だいすけおにぃがめっちゃ凄かったな当たり前ですけど

サンシャイン劇場に行くたびに「池袋は埼玉が持つ全ての業を1都市で背負っている」と話していた友達の話を思い出す。渋谷/新宿の方が人は多いんだけど、なんか池袋特有の「嫌」感がある。

中村嶺亜、仕事中に電話してくる子とは付き合わないだろうな

・途中、恐竜のダディ友が同性カップルであることにポリコレを感じて萎える人を確認してるのですが、「恐竜の同性カップル」にポリコレを感じる事って日本中どの作品見てもないだろうから、めっちゃおもろいなと思いました 

・劇中、コロコロ転がった嶺亜さんを見て「中村嶺亜をこの大きさに設計してくれた神様ありがとう」って心の底から思ったよ

・1部が終わるタイミングで、彼女が妊娠してるかもしれないから現実に戻りたくないって言った時は「はァ〜〜!?!?!?!?!?避妊しろ!!!!!!!!!てめぇが戻らなかったら彼女は1人で育てることになるんだよ!!!!!!!!!顔が中村嶺亜だからって調子乗るなよ!?!?!?!?!?」って激怒して、2部で改心してたけど、それでも子供が欲しくないタイミングなら避妊はしようね

 

おわり