ジャニーズ伝説2022感想文 ABC-Zなりのジャニーズイズムとは何なのか

2022年のジャニーズ伝説を観劇したのでレポを……………

本作においてネタバレもなにもないですが、一応気にする人はお気をつけください…

 

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「ジャニーズイズム」とは何だろうか。『ジャニーズ伝説』を観劇した帰りの有楽町でぼんやりとそんなことを考えていた。

いきなり別舞台の話で恐縮だが、EndlessSHOCKで堂本光一が20年以上に渡ってShow must go onの精神を観客に伝えている。この命が続く限り、ショーを止めない。ただ舞台を大切にするのではなく、舞台に経ち続けるという覚悟がショーに対する堂本光一なりの「ジャニーズイズム」であると解釈し、上演しているのだと思う。

 

それに対して2年前からABC-Zが演出を務めるジャニーズ伝説は、ジャニーズ事務所結成秘話と初代ジャニーズの栄枯盛衰、そしてその時のジャニー喜多川の姿を描き、かなりはっきりとした形でABC-Zなりの「ジャニーズイズムとは」を示しているように感じる。

 

実際どうだったのかは分からないが、劇中だけの描写を見ると初代ジャニーズの渡米は失敗だったように思える。せっかく大きな成功を掴んだタイミングでの渡米。そしてせっかく全米デビューを手にかけたタイミングでの帰国。そして解散。感情移入して観劇すると「いやいやもう売れてるんだから渡米の必要なんてないだろ」「せっかく良い曲作ってくれたのに今帰国しなくても良いだろ」と思ってしまうが、おそらくジャニー喜多川も渡米・帰国のタイミングが悪いことなんて重々承知だっただろう。それでも渡米・帰国のきっかけとしてジャニー喜多川(戸塚祥太)ははっきりとこう述べている。

「若者の夢を応援することが僕の仕事だからね」

「僕は君たちの人生を預かってるんだよ」

Show must go onがショーに対するの「ジャニーズイズム」だとしたら、所属タレントに対するジャニー喜多川の視線、すなわち「ジャニーズイズム」はこの2つのセリフであるとABC-Zは示しているのではないだろうか。

彼らの挑戦を応援しアメリカでレッスンを積みながらも、日本での仕事のためにこれ以上アメリカには居られない(日本を空けられない)というタイミングでの帰国。こういった「タレントの人生を預かる覚悟を持ちながらタレントの挑戦を応援する」という姿勢こそが対タレントのジャニーズイズムであるとABC-Zは示したかったのでは無いだろうか。

 

実際に彼らを応援しているとタレントとしての挑戦には寛容な事務所なんだなと思うことが多い。俳優、コンサートや舞台の演出、執筆業、後輩グループのプロデュース……アイドルの範囲を遥かに超えた挑戦を多くのタレントが行っている。その一方でネット進出が極端に遅かったり、タレント個人の行動を制限することも多い。ただそれはタレント・事務所としてのイメージ、そしてタレント本人を守るためにあるようなものが多いように感じる。(実際にそのルールがタレントを守る結果になっているかは別問題だが…)こういった「挑戦を応援しつつ、人生を預かっている意識を持つ」という部分はジャニー喜多川が死去するまで守られているように感じる。

 

もちろん、ジャニーズ事務所にも本当に本当に沢山の問題が存在する。所属タレント全員がジャニーズに入所して幸せだということはないだろう。それでもことあるごとにタレントが「ジャニーさんジャニーさん」と話している姿を見ると、この窮屈な事務所はタレントを愛しているし、タレントも事務所を愛しているんだろうなという信頼に触れることができる。もちろん、事務所がタレントを愛しているからといってそれと芸能の世界で成功することは一致しないだろう。それでもタレントである以前に一人の人間としてタレント一人ひとりを不器用に愛してくれる姿勢こそがジャニー喜多川初代ジャニーズ結成から一貫して持っている姿勢であるように感じた。

 

ジャニー喜多川の死去から2年。エンタメ業界だけでなく世界中で多くのことが起きた。そして事務所に関するさまざまな報道で信頼も揺らいでいる人も多い。そういった状況下でこういったジャニーズイズムを再確認する意味合いがあるのではないだろうか。

 

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あまり書いている人がいないので今野大輝の芝居についても少し。

一回しか入ってないし2階席ですが…………

 

これは今野の問題ではなく「内部舞台」の問題だが、本作において「役」というのはあってないようなものだ。侍のメンバーとして進路に悩み、侍のメンバーとしてジャニーズの成り立ちを学ぶ構図なので、ほとんど本人役と言える。それゆえ本作で芝居を評することはほぼ不可能だが、夏のドリボに比べると「何もしていない」の時間がほぼ無くなったように感じる。

ドリボの時はセリフが無い時、特に行動が無い時についてどこか遠くを見ているような時間がかなりあって、芝居をしているとは言えない状態だった。そこから3ヶ月経った今回のジャニ伝に関しては今この役が何を感じているのかを理解しているような気がした。

彼のインタビューを読むと外部舞台に関しては役の解像度を自分で高めず、演出家に相談しながら役が何を感じ、考えているのかを頭に入れて演じているようだ。

内部舞台ではおそらく演じる役について演出家=堂本光一またはABC-Zに相談する場面がなかったので、ドリボは「なぜタイキが照明を落としたのか」「なぜフウマに怒り、探しているのか」「レイアが刺された時どう感じたのか」に対して答えがないまま演じているように見えていた。それに対してジャニ伝の役(役名ってあるんですか?)が実際の今野大輝と近いこともあるのか、全編のシーンで役がどう感じているのか想像しながら演じることができたように感じる。今野以外のメンバーも、役と自分自身がリンクしているから中村嶺亜は千秋楽の挨拶でああ言ったのではないだろうか。

 

今に始まったことでは無いが、ドリボもジャニ伝も演技指導が一切ないんだなと感じるし、話し合いの中で役を落とし込む今野は演技指導がない舞台で芝居をするのは難しいだろうなとぼんやり感じた。

 

いや、普通に演技指導しろよっつう話ですが…………………

 

内部舞台の脚本・演技・演出について書くとあと1万文字必要なのでここまでにしますが、演出家と一緒に役を作っていくタイプの俳優すぎるので、とにかく良い演出家の元で経験を積めば積むほど良い役者になっていくと思います。本人にとって一番やりたいことが舞台ではないことは重々承知ですが、純な感受性と声での表現の幅はなかなか努力で手に入らないものなので大事にしてもらえると良いなと思いました。